インドはUNESCOの世界遺産に登録されている遺跡などの文化遺産が35件、自然遺産が7件、複合遺産は1件で合計43件(2024年)あります。また、歴史的な遺産は数多くあり、43件の登録リストのほかにもま だ登録されていない重要な遺産が多く現存しています。インドの世界遺産には歴史的建造物が多くあり、どれもそれぞれに特徴のあるものばかりで、特に精巧な彫刻は他では見られないものばかりです。インドは世界遺産の宝庫で世界遺産の多い国 ランキング、第6位(2024年)になっています。
造営は前1世紀に始まり2世紀からしばらく中断された後、5世紀末期に再開され7世紀まで続きました。紀元前後の第1期窟は構造も簡素で彫刻による装飾もほとんどなく、5世紀末期から7世紀の第2期に、石窟の構造が整備され、彫刻や壁画によって華麗に飾られるようになったのです。第9、10窟側壁の壁画は紀元前後までさかのぼる仏教絵画最古の遺品であり、6世紀初期と考えられる第1窟の壁画は、華やかな彩色と優れた技法になり、アジャンター壁画の頂点に立つものです。奥壁の仏堂左右に1本ずつ描かれている蓮の華を持つ菩薩はことに有名です。アジャンター壁画は、まとまった形で現存するインド唯一の例であり、しかもインド古典文化の絶頂期に描かれたもので、仏教絵画の源流としてきわめて貴重なものです。1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
造営は前1世紀に始まり2世紀からしばらく中断された後、5世紀末期に再開され7世紀まで続きました。紀元前後の第1期窟は構造も簡素で彫刻による装飾もほとんどなく、5世紀末期から7世紀の第2期に、石窟の構造が整備され、彫刻や壁画によって華麗に飾られるようになったのです。第9、10窟側壁の壁画は紀元前後までさかのぼる仏教絵画最古の遺品であり、6世紀初期と考えられる第1窟の壁画は、華やかな彩色と優れた技法になり、アジャンター壁画の頂点に立つものです。奥壁の仏堂左右に1本ずつ描かれている蓮の華を持つ菩薩はことに有名です。アジャンター壁画は、まとまった形で現存するインド唯一の例であり、しかもインド古典文化の絶頂期に描かれたもので、仏教絵画の源流としてきわめて貴重なものです。1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
造営は前1世紀に始まり2世紀からしばらく中断された後、5世紀末期に再開され7世紀まで続きました。紀元前後の第1期窟は構造も簡素で彫刻による装飾もほとんどなく、5世紀末期から7世紀の第2期に、石窟の構造が整備され、彫刻や壁画によって華麗に飾られるようになったのです。第9、10窟側壁の壁画は紀元前後までさかのぼる仏教絵画最古の遺品であり、6世紀初期と考えられる第1窟の壁画は、華やかな彩色と優れた技法になり、アジャンター壁画の頂点に立つものです。奥壁の仏堂左右に1本ずつ描かれている蓮の華を持つ菩薩はことに有名です。アジャンター壁画は、まとまった形で現存するインド唯一の例であり、しかもインド古典文化の絶頂期に描かれたもので、仏教絵画の源流としてきわめて貴重なものです。1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
インド、ムンバイ近海のアラビア海に浮かぶエレファンタ島にエレファンタ石窟群があります。 6~8世紀に作られた合計7つのヒンドゥー教の石窟寺院があり、全てシヴァ神を祀っています。なかでも、最も大きい第1窟で三面のシヴァ神の像が5m程の巨大な浮き彫りでヒンドゥー教美術の最高傑作の一つとなっています。1987年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
サーンチーは、インドの中央部のマディヤ・プラデーシュ州ラーイセーン県にある丘陵の小さな村です。仏塔(ストゥーパ)・寺院などのインド最古の仏教遺跡があります。紀元前3世紀にアショーカ王が釈迦の仏舎利や高僧の遺骨を納め祀るストゥーパを建立しました。現在は3つのストゥーパがあり、最も古く仏陀の遺骨が納められているという第一塔はドーム型で大きさも最も大きいものです。その他のストゥーパも見事な彫刻でほぼ完全な形で残されていることで有名で す。1989年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
デカン高原北部のビンディア山脈の山麓「マディア・プラデーシュ州」に位置している岩陰遺跡群。1万年以上前の石器時代以降に造られた岩窟住居群があり、5か所の岩山に合計約400の岩陰や岩窟、何千という岩絵が残されています。その中でも見ることができるのは15の岩陰や岩窟だけで、壁にはゾウ・トラ・サイなどを描いた岩絵や狩猟や採取などの当時の生活の様子が描かれています。2003年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
インド、ムンバイにある駅で、イギリス統治時代の1853年4月16日インド鉄道創業時第1号の列車がこの駅から出発しました。この駅舎を設計したのは、 イギリスの建築家フレデリック・ウィリアム・スティーブンス。設計に1年、1878年~1888年かけて建てられました。現在、インド最大の乗降客数を誇る駅の建物は、駅舎というよりむしろ宮殿のような豪華な建物で、建築様式はヨーロッパ由来のヴィクトリア・ゴシックに築にインド伝統様式であるドームや尖塔を融合したものとなっています。2004年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
インド北部のチャンパネール町にある多くの考古遺跡が密集しています。遺跡公園には未だ未発掘の遺跡が多くありま す。パーヴァガドゥ丘の頂上に立つヒンドゥー教のカーリーカマタ寺院は多くの巡礼者が訪れる重要な聖地とされている場所で、カーリー神様が祀られています。ヒンドゥー王国の都市遺跡が残るチャンパネール=パーヴァガドゥ遺跡公園は2004年ユネスコの世界遺産(文化遺産))に登録されました。
アーメダバードは15世紀にグジュラート・スルターン朝のアフマド・シャーによってサバルマ ティ川の東岸に設立され、約650年にわたりグジャラート州の州都として栄えた続けた城壁のある街です。 アーメダバードは、要塞都市の城壁や門、数多くのモスクなど建造物や重要なヒンズー教寺院 やジャイナ教寺院の精巧な彫刻であることから、インド最初の都市として2017年7月8日に世界遺産都市に認定されました。アーメダバードには25近くの保護遺産があり、鳥の餌箱、公共の井戸、宗教施設などの特徴を備えたゲート付きの通りに、密集した伝統的な集合住宅地を歩いて見学するヘリテージウォークがお勧めです。
ムンバイのヴィクトリア朝とアール・デコの遺産群は、ムンバイの要塞地区にあり、以前はエスプラネードとして知られていたオーバル・マイダンを中心に、文化的に重要な94の建建築群があります。 ヴィクトリア朝のゴシック様式とアールデコ様式の遺産群は、約200年にわたる建築と都市計画の発展を反映しています。最初の拡張は、ヴィクトリア朝ゴシック建築群の公共建築物群の1880年代の建設とオーバル・マイダンの創設をしました。20世紀初頭のバックベイ再生計画はアール・デコの住宅、商業用およびクリケット・クラブや映画館など娯楽用の建物と「女王のネックレス」とも呼ばれる美しい景観のマリン・ドライブの海辺の創設とともに、ボンベイが西に拡大する新たな機会となりました。ヴィクトリア朝の壮大な公共の建物群は、バルコニーとベランダを導入することによって地元
の気候風土に適応しながら、インドの要素とゴシック様式の復活要素を混ぜることによってインドゴシック様式を建築しました。ムンバイ高等裁判所や官庁、大学、博物館などがあります。アール・デコの建築群は、ムンバイの象徴的な映画館や建物と集合住宅、インドのデザインとアール・デコのイメージを融合させ、インドデコとして知られるようになったユニークなスタイルを作り出しました。
2つのアンサンブルは建築様式、建築資材と技術の進歩の段階、都市計画の哲学を表しています。2018年6月に文化遺産として登録されました。
4~9世紀に内陸にあるカーンチプラムにパッラヴァ朝の首都が置かれてました。その東65キロのベンガル湾に位置するマハーバリプラムは東西貿易の拠点として栄え、ヒンドゥー教徒が居住したため町には多くのヒンドゥー教寺院が建立されました。パッラヴァ朝のマーマッラ王やその後裔は、貿易港であったマハーバリプラムの海岸と岩山に数多くの寺院や彫刻を残しました。当時多く使われていた花崗岩の岩山を掘削した石窟寺院、岩壁彫刻や石彫寺院、また最初期の石造寺院である石積みの海岸寺院など、優れた彫刻の建造物が数多くある寺院です。これらの寺院はインド中世建築発祥の地のひとつとしてきわめて重要であり、1985年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。当時の木造寺院を模して壁面にライオンや象などが刻まれた「5つのラタ」と呼ばれる一連の石彫寺院は特異な遺跡として名高いものです。
インドのボリウッドで有名なムンバイの南東にあります。14世紀、南下するイスラム勢力に対抗するため、南インドに興ったヴィジャヤナガル王国(1336~1649年)の首都が現在のハンピで、当時はヴィジャヤナガル(勝利の都)と呼ばれ、50万の人口を擁する大都市として栄えてました。しかし、1565年ムガル帝国のイスラム軍に敗れ、町は廃墟となり多くのヒンドゥー教寺院が残されました。遺跡は現在発掘中ですが、面積が広大なため、発掘されたのはまだほんの一部だけなのです。このような、貴重な遺跡であることが評価され、1986年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
パッタダガルはインドのカルナータカ州北部の村です。6~8世紀にかけて建てられた9つのヒンドゥー教寺院があり、すべて宇宙の破壊と創造を司るシヴァ神を祀っています。北方型と南方型のヒンドゥー教寺院が残されており、屋根が砲弾形をしているのが北方型で、その代表はパパナータ寺院。また、南方型はピラミッド形の屋根をしており、マッリカールジュナ寺院とヴィルーパークシャ寺院が代表的です。1987年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
南インドのタミルナードゥ州中南部に位置する、11~12世紀に建造された3つのヒンドゥー寺院群。大チョーラ朝寺院はラージャ・ラージャー1世がタンジャヴールに建てたブリハディーシュワラ寺院が1987年に最初にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。更に2004年に大チョーラ朝寺院群として、彫刻や壁画が見事なガンガイコンダチョッリスヴァラムのブリハディーシュワラ寺院とダーラーシュラムのアイラーヴァテーシュヴァラ寺院が世界遺産(文化遺産)に追加登録されました。
インド半島西岸を、ほぼ海岸線上平行に走る山脈です。ガーツとはヒンディー語で階段の意味でデカン高原の東西両縁の山地が、海岸平野から階段状にせり上がるところから、東ガーツおよび西ガーツと呼ばれています。西ガーツ山脈は、生物多様性のホットスポットで、人類による破壊の危機に瀕している生物を多種擁する地域です。世界的に絶滅が危惧されている植物相、動物相、鳥類、両生類、爬虫類、魚類が、少なくとも325種生息しています。2012年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。
1631年に死去した愛妃のためにシャー・ジャハーンが22年の歳月を費やして建てた愛のシンボル。白大理石の世界一豪華なお墓です。シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に自分のお墓黒のタージマハルを建てようと計画していました
が、息子によってアーグラ城の一室に幽閉されてしまったので実現しませんでした。その部屋からタージマハルをを見ることが唯一の喜びだったのでしょう。今ではシャー・ジャハーンは愛する妻と並んだ墓石で眠っています。1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
インド北部、ニューデリーの南200㎞のムガール朝の旧城塞です。16世紀の第3代アクバル帝に始まりましたが大部分の建築物は第5代シャー・ジャハーンは帝時代の造営です。「赤い城」の名の由来となる赤砂岩造りの二重の城壁と門でできています。今ではシャー・ジャハーンが幽閉された部屋に入ることはできませんが、アーグラ城からタージマハルを眺めることはできます。1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
16世紀に建てられたムガル帝国第2皇帝フマユーンの霊廟です。皇帝の妻ハージ・ベグムは愛する亡き夫のためデリーのヤムナー川のほとりに9年の歳月をかけ壮麗な霊廟を建てました。赤砂岩と大理石の象嵌技法で造られているため劣化せず、美しいコントラストです。イスラム教にとって塀に囲まれ、日陰と水が豊富にあるこの庭園は[天国の楽園]を模写したものでした。1993年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
アグラフォートと同皇帝アクバルによって、息子の誕生記念として建設された都市です。しかし慢性的な水不足と猛暑のため、わずか14年間しか使用されず廃墟となってしまった。いわばゴースタウントです。1986年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
インド最大のミナレット(塔)で高さが72,5mで5層になっています。12世紀末にスルタン・クトゥブウディーン・アイバクがヒンドゥー教から勝利した記念として急いで建てられました。そのためヒンドゥー教寺院を破壊しその石材も使用されたので、よく見るとヒンドゥー教の神ガネーシャの彫刻などが刻まれています。ヒンドゥー様式とイスラム様式が混在した建造物になっています。中庭にある鉄柱は4世紀ごろに建てられたものですが今も錆びずに残っています。1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
マハーラージャ・ジャイ・フィン2世によって、1728~1734年に建てられました。他にデリーやバラナシなど5ヶ所に天文台が建てられましたが、ジャイプルのものが最も規模が大きいです。敷地内には様々な天体観測器が20個程あり、最も目立つのは27.4mもあるサムラート・ヤントラで現在でも2秒ごとに時間を計測できます。2010年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
インド北西部にある世界最大の砂丘。ラージャスターン州の砂漠の砦はアンベール、ランタンボール、チットールガル、ガグロン、クンバルガール、ジャイサルメールの6つからなる城砦群です。インド最大の州ラジャスタン州には8世紀からラージプート族が住んでおり、ヒンドゥー教を主体とした独自の文化を築いていました。ラジャスタン州はペルシアやトルコなど他国から人が交わる場所であったため、ずっとこの地で暮らしてきたラージプート族は、厳しい砂漠での生活環境と、他国からの価値観を取り入れながら、丘陵地帯に堅固な城塞を築いてオアシス都市群を築き上げました。2013年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
インド北部のヒマーチャル・プラデーシュ州、ヒマラヤ山脈の西部にある豊かで多彩な自然が広がっている国立公園で す。標高6,000mの高山は万年雪で氷河による渓谷、山岳地帯の牧草地、標高に対応した独特の生態系が見られる様々なタイプの森林が広がっています。広葉樹林から針葉樹林まで25種の森林形態が存在し、被子植物に限れば58%が固有種です。ハイイロジュケイやジャコウジカなど絶滅危惧種をはじめ多くの野生動物が生育しています。こうした多様な動植物の宝庫なのです。2014年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが建てた城塞。赤砂岩を城壁に用いたため赤い砦、英語でレッド・フォートと呼ばれています。オールドデリー中心にそびえ立つ巨大な城で17世紀中ごろに9年の歳月をかけ完成しました。2007年ユネスコの世界遺産に登録されデリーで代表する観光スポットとして毎日たくさんの人々が訪れています。
ジャイプールは、インドのラジャスタン州において訪れるべき最も美しい都市の 1 つです。 ピンクシティとも呼ばれ、親しまれています。 「ジャイプール」はヒンディー語で「勝利の都市」を意味しています。 この都市は、ラージプートの当時の藩王マハラジャ サワイ ジャイ シン II 世が、王国の首都をアンベールからジャイプールに遷都したことにより、18世紀より建設がはじめられました。ジャイプールという都市の名前は王の名に由来しています。 イギリス統治時代の1876年、ヴィクトリア女王の息子アルバート王子(ウェールズ公)がジャイプールを訪れることになった折に、歓迎の意味を込めて街全体がテラコッタピンク色に塗られました。このピンク色は、活気とおもてなしの心を表しています。 街の中心部はまだ大部分がピンク色をしており、ジャイプールの見どころのひとつとなっています。 ジャイプールのバザールや美しい宮殿、要塞内部には、色とりどりの衣装をまとった人々、聖牛、リキシャー、象などあらゆるものが行き交っているため、街はせわしく混沌としています。この独特の光景とピンク色の街という珍しさも相まって、ジャイプールはインドでも人気の高い都市のひとつです。